Archive for February, 2009
システムの奴隷ではないのだ
危険だから行くな、という多くの助言を押し切ってエルサレムの大地を踏みしめた村上春樹。
その受賞スピーチの全文を読んでこう思った。
村上春樹はいまだにぶれていない。
『風の歌を聴け』を初めて読んだときの得たいの知れない親近感が再び心の中に広がった。
スピーチの核心は次の部分ではないだろうか。
小説家が書き続けることに、ただ一つの正しい理由があるとすれば、それは個の尊厳を掬い上げ、その生に光を当てることです。物語を作る目的は、私たちの生命を守るために警告を発し、システムが私たちの精神をもつれさせ、卑しめることを防ぐことなのです。
一人ひとりの精神が持つ個性を書くことによって ‐ 生と死の物語を、愛の物語を、人々を涙させ、怖がらせ、笑わせる物語を書くことによって明らかにしようと試み続けることこそが小説家の仕事だと、私は心から信じているのです。だからこそ日々、真剣にフィクションを作っているのです。
これはイスラエルの人々はもちろんのこと、僕ら日本人に向けたメッセージなのだと思う。一度でもいいからアウトサイダーになり、出来上がってしまったシステムについて考え直す。今はまさにその絶好の機会なのかもしれない。
システムだけでは人を救えない。システムを動かすのは人なのだ。それがいつのまにか逆転してしまった。変わるのはこれからである。
出典:週刊朝日3月6日増大号、村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ
間もなく絶滅危惧種に入ると言われている職業
昨夜はとうとう夢の中で、黒装束の謎の人からクイズを二つばかり投げかけられた。
一つはこれである。
間もなく「絶滅危惧種」に入ると言われている職業は?
ヒント:ノーベル賞部門にも含まれている。
もう一つはこれ。
世界で一番誤字脱字が多い国はどこ?
ヒント:いろいろな国名を見ること。
二番目の答えはわりとすぐにわかった。ただしそれが正解かどうかもわからない。みなさんはどうだろうか。
子供のことを何だと思っているんだ ‐ ターンアラウンドの広告
近所の小さな書店で雑誌『pen』を買った。表紙の「時代に克つアイデア満載!広告デザイン2009」という大見出しに引き寄せられた感じである。
家庭内暴力被害者救済に取り組むTurnAroundという米国NPOのポスターが印象的だ。こういうシンプルで力強いコピーである。
A child is not a target.
Stop the cycle of domestic violence.
「子供は”的”ではありません」と訳してあるけれど、これはもっと強いメッセージで、「子供のことを何だと思っているんだ」という意味のように思える。
以前、知り合いのご家庭の小学生の女の子から「こっちの態度が悪いとお父さんがときどき殴るんです」と告白されたことがある。私だって父親には何度も殴られた。でもそのお父さんは子供を殴るようにはまったく見えない人だからびっくりした。上にも「cycle」と書いてある。まずはこの「cycle」を断ち切ることが大切なのではないだろうか。
出典:pen with New Attitude 2009年3月1日号
発泡スチロール頭
発泡スチロールで頭を作ろうと思い立ちダイソーに行った。スチロールカッターもニクロム線も置いてあったのだが、ちょうどいい大きさの発泡スチロールがなかったので結局何も買わなかった。ハードウェアの作業はあとですることにして、まず音声認識をさせようと思い、今コンピュータを鍛えている。 直前の今井さんの記事「キーワードはホームアゲイン」を読み、認識させてみた。その結果がこれ。
八キロなどはホームは米
今朝はほんの短いドライバー以外にいろいろな謡曲を切った。ほとんどが70年代80年代のものである。そのころの曲はどれを聞いてもそれとセットになっているシーンがどんどん浮かんできて切ない気持ちになることもある。いや、切ないというよりもあの人にはすまないことをしてしまったという感じだろうか。
偶然かもしれないがいくつかの曲に共通しているメッセージがあった。ホーム安定にである。いろいろな意味があると思う。でも今の僕らにとっては失いかけている岩はホームグラウンドのことは切実だ。これは作家の。野菜市が絶対にそれを持てとずっと前から言い続けていることなのだ。
これまでは各自、そして全世界、全国各地にホームグラウンドがあった。それがますます一曲に集中しようとしている。全米東京ドームで指令をやるようなものだ。
もうなくなってしまったがジュラシックパークを書いたマイケルからいったんもしきりとその落とし穴の同警告していた。なぜそのような感慨思い至ったのだろうか。やはり恐竜も関係しているのかな。
自分にとってのホームグラウンドでなんだろう。それはどうやら一人の作家に七期層である。そこから何が生まれるって言うわけでもないけれど祖父宅と八期、それで案内すてきなことなのかもしれない。
「祖父宅と八期」の箇所は咳き込んだら入力されてしまった。うがいをすればなかなかいけるんじゃないか。
キーワードはホームアゲイン
今朝はほんの短いドライブの間にいろいろな洋曲を聴いた。ほとんどが70年代、80年代のものである。その頃の曲は、どれを聴いてもそれとセットになっているシーンがどんどん浮かんできて、切ない気持ちになることもある。いや、切ないというよりも、あの人にはすまないことをしてしまったという感じだろうか。
偶然かもしれないがいくつかの曲に共通しているメッセージがあった。Home Againである。いろいろな意味があると思う。でも今の僕らにとっては、失いかけているいわばホームグラウンドのことが切実だ。これは作家の丸谷才一が絶対にそれを持てとずっと前から言い続けていることなのだ。
これまでは各人、そして全世界、全国各地にホームグラウンドがあった。それがますます一極に集中しようとしている。ぜんぶ東京ドームで試合をやるようなものだ。
もう亡くなってしまったが、ジュラシックパークを書いたマイケル・クライトンもしきりとその落とし穴のことを警告していた。なぜそのような考えに思い至ったのだろうか。やはり恐竜も関係しているのかな。
自分にとってのホームグランドって何だろう。それはどうやら一人の作家に行き着きそうである。そこから何が生まれるっていうわけでもないけれど、それって案外素敵なことなのかもしれない。
[amtap book:isbn=4150406960]
[amtap book:isbn=4167138166]
花粉観測ロボット登場 ‐ あともうひと声
Sonetニュースで、花粉観測ロボットが紹介されていた。「ポールンロボ」という名前である。直径15センチの球体だから手のひらにのせることもできる。
ロボットの口から花粉が入ると、内部のセンサーがそれを察知し、測定された花粉の量に応じて、ロボットの目の色が白から紫まで変化するらしい。この紫というのは不気味だろうな。
こういうロボットはたしかにありがたいけれど、できればもうひと声いきたい。身勝手な考えかもしれないが、知らせるだけでなく、吸い取ってもらいたいのである。
それともう一つはネーミング。「ポールンロボ」ではちょっと弱い気がする。いっそ全国公募をやってみたらどうだろう。
花粉症総人口などという言葉も登場しているくらいなのだから、その力を終結させたらきっといい名前が決まるだろう。
今一番会いたい人 ‐ それは糸井重里さん
誰にとっても今一番会いたい人というものは存在すると思う。これは最愛の人と結婚しているとかすでに一緒に暮らしているとかそういうこととはまた別なのだ。ふつうは最愛の人といえば異性だしね。
私の場合は糸井重里さんである。「不思議大好き」、「おいしい生活」で一斉を風靡した人だ。ただし、なぜ会いたいかといえばカッコいいからである。コピーのことはどうでもいいのだ。
実はとうとう一昨日、糸井さんが夢に出てきた。でも予想してたとおり、夢の中では胸にぐさりとくることばかりを言う人だったような気がする。
甘ったれるんじゃないよ。
そんな感じなのだ。
実際、糸井さんは想像以上にシビアな人のはずだ。でもその分いつもニコニコしている。最近よく一緒に出ている立花隆のニコニコとは一味ちがう。
糸井さんがなぜそういう人になったかというと、これはほんとにあくまで直観だけで言うのだが、あるとき人生をかけてもいいと思って惚れてた人に徹底的にふられて、ふつうの人が脳の奥底にしまいこんでいる日本刀のような切れ味を持つ言葉が一気に表出したのではないか。
そんな気がするのだがどうだろう。
馬鹿なこと言うな、と今日も夢に出てきてくれるといいのだが、実際に会えたらもっと嬉しい。
ところで明日は、Loftに言って、ほぼ日手帳を買うつもりである。
フィンランドからセレブ携帯
多機能携帯も頭打ち状態。どこのメーカーの携帯を選んでも、腹八分の満足度が得られる。さて残りの二分にどんなスイーツを持ってくるか。
朝日新聞2月20日付の経済面に、「セレブ携帯」の見出しが躍った。一番安いもので一台67万。最高では600万もするらしい。この携帯の中身はというと、ホテルなどの予約に24時間対応するコンシェルジェサービス、アカデミー賞作曲家による着信音などが盛り込まれている。どれも自分とは無縁のものだ。
まあ、これがお腹を満たす甘い汁といったところなのだろう。
19日に銀座にオープンした高級携帯ブランド「ヴァーチュ」直営店には、セレブ携帯の香りに引き寄せられた「サクセスクラス」の人たちが品定めに集まっているらしい。「ヴァーチュ」は、フィンランドの世界最大の携帯端末メーカーであるノキアの一部門だということだが、私は記事の中の600万という数字よりも、お金持ちの心をくすぐって巧みに目標を達成しようとするフィンランドの強かさに感心した。
こういうところからプラスの波動をもらって、自分の小さな目標達成に結び付けたいと思う。目標だけならいろいろあるのだ。
ところで、600万あれば、「嫉妬するか 所有するか」のフェァレディZが買える。ヴァーチュと組んで売るっていう手もあるな。
神の手を持つ医師が編み出したティッシュペーパートレーニング
小林公夫さんの『論理思考の鍛え方』に、神の手を持つ医師が独自に考えたトレーニングのことが書いてある。巧緻性というテーマに関連して、葉山ハートセンター名誉院長である須磨久善医師の言葉が紹介されているのだ。須磨氏は日本で初めて難しい心臓縮小手術を手がけたのだという。
心臓が元気な人の場合、血管の壁がしっかりしている。ところが、手術が必要となるほどに動脈硬化が進んでいる人は、壁が相当に薄くなっている。また、脆くなってちぎれやすい。1ミリの血管を縫うにしても壁がちぎれたり裂けたりする可能性がある。そんな微妙な状態で手術をするわけだから、相当に気を使わないといけない。そんなとき、ティッシュペーパーがちょうど傷んだ血管の壁に似ているなと思いつき、実際に手術で使う道具で縫合の練習を始めた。ティッシュペーパーならば、いくらでも気兼ねなく練習できるから…
どうだろう。すばらしい想像力ではないか。
超一流の技術を持っている人にその秘訣を聞くと、意外と単純な答えが返ってくることが多いという風説がある。単純なものには想像力が凝縮されるようだ。
私はここで鉄の爪のことを思い出した。知らない人も多いと思うが、今はなきフリッツ・フォン・エリックである。彼の職業はプロレスだった。相手の顔面を手で鷲づかみにするという単純なワザだけで一世を風靡した。彼はマシンを使って自分の手を鍛えたわけではない。何を使ったかというと手のひらにおさまるゴムボールである。そのボールがつぶれて破裂するまで毎日握りしめるのだ。
今は知識とか技術を身につけるための手段にますます磨きがかかっている。でも肝心なのは自分自身のコアの部分に磨きをかけることではないだろうか。それも、きわめてシンプルな方法を使って。
出典:論理思考の鍛え方、小林公夫、講談社現代新書
[amtap book:isbn=4061497294]
お子様は算術もできないうちに産術を学ぶのでしょうか ‐ いよいよ日本でも真実味が
マスメディアで北方領土の問題が取り上げられている。ロシアとなるとすぐにロシア語通訳者の米原万里のことが頭に浮かぶ。早速『不実な美女か貞淑な醜女か』を拾い読みした。
ロシアとはぜんぜん関係ない部分に目を引かれた。以前も読んだはずなのだが、今回は妙に気になった。
“Will your child learn to multiply before she learns to subtract?”という英文が、「算術も出来ないうちに子供を生むのはやめよう」と訳されていて、あの超一流の変人であるロビン・ギルがそれではつまらんと言っていることを紹介している。彼はこう言っているのだ。
アメリカの”ふえる10代の母親”の実態を探る下村満子氏の連載(朝日新聞86・7・4日付)のイラストであるが、ポスターの原文の意味を正確に伝えているとはいっても、その調子はまったく異質なものとなっている。
まず、原文はとってもカッコいい。「あなたのお子様はヒキ算を学ぶ前にカケ算を身に付けるのでしょうか」‐multiply(カケ算)は「子孫をふやす」という意味もあるので、カケ言葉になるわけです。例えば、「お子様は算術を学ぶ前に鼠算を身に付けるのでしょうか」とか、「お子様は算術もできないうちに産術を学ぶのでしょうか」と訳せば、原文に近い感じになるかもしれない。
(ロビン・ギル著『誤訳天国』白水社)
こういう重要な問題だからこそ英語の世界ではひねりを利かせる。でも日本だと、こういう風にやると、たぶん不真面目ととられてしまう。ほんとうにつまらん。
ロビン・ギルはまったく無名の食えない時代に会社に電話をしてきた。私が会いに行かされた。何と言うか、若い頃のノーム・チョムスキーに輪をかけたような雰囲気だった。少しの小銭しか持っていないようなので、仕方なく渋谷の喫茶店でコーヒーをご馳走した。こっちだって小遣いは十分じゃなかった。その後もアプローチしてきたけれどこっちは忙しくて会えなかった。今も日本に住んでいるのかな。今度コーヒーおごってくれよな。覚えてなんかいないだろうけど。
出典:不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か、米原万里、新潮文庫
[amtap book:isbn=4101465215]


