リンガマークボード+ 心にしみ入る本の一滴

群ようこ<校正のフラストレーションをぶっ飛ばせ>

校正者はきちんと日本語の用法などを勉強した方々ばかりであるから、私なんぞよりはるかに日本語に関して詳しいのであるが、「正しいかもしれないが、そうしたくない」という場合が、書く側にはある。

群ようこが『ニホン語日記』の解説の部分で述べている一言。同感である。あまりきちんとしすぎると、つまらない教科書のような文章になってしまう。

それにしても群ようこは校正のときのフラストレーションがかなりたまっているようだ。

ところで、これは英文にも言えることかもしれない。英文の場合もどこかが壊れていて、「えっこんな使い方できるの」という要素があったほうが魅力が増す。今読んでいるジェフリー・アーチャーの文章もそうである。真似をしてみたいものだがそう簡単にはいかないだろうな。

出典:『ニホン語日記』、井上ひさし、文春文庫


ニホン語日記 (文春文庫)

井上 ひさし. 文藝春秋 1996, 文庫, 297ページ, ¥ 459

デザインで飲ませるスターバックスコーヒー

今mixiを開くと、トップにスターバックスの広告が展開されている。mixiに貼り付けられているほかの広告はいつもうるさいと感じていたが、スタバは許せる。オーディアンスとはかくも勝手なものである。

なぜ許せるかといえば、一番気に入っているロゴデザインの一つがスターバックスだからである。あの魔力はすごいと思う。

ロゴマークの中のあの女性はギリシャ神話に出てくるセイレンという人魚なのだそうだ。そうか手招きしているように見えたがそうではなかった。

最初からきちんと計画を立ててあのロゴとか色合いとかが出てきたのかどうかはまだ調べていない。けれど、前にも書いたようにスタバがデザインと雰囲気でコーヒーを飲ませていることだけはたしかなように思えるがどうだろうか。

そういえば以前、スタバはロゴマークを盛り込んだキーホルダーを売っていた。買っておけばよかった。

『不実な美女か 貞淑な醜女か』米原万里<わかるところだけ訳そう>

万里ちゃん、全部訳そうと思うから大変なんだ。分かるところだけ訳していけばいいんだよ。

パニックに陥っているロシア語通訳者の米原万里に手を差し伸べた師匠の徳永氏のひと言。

口語というものはたしかにそういう一面を持っている。日常生活でも、相手の言うことはかなりはしょって聞いている。意味のない要素もいっぱい含まれているようだ。

同時通訳者の草分けの一人である小松達也が新年パーティの挨拶で次のように語っていたことを思い出した。

通訳はまちがいが許されるけれど、翻訳はまちがいが許されません。

そう、翻訳は合いの手を入れられないのである。

出典:『不実な美女か 貞淑な醜女か』、米原万里、新潮文庫


不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

米原 万里. 新潮社 1997, 文庫, 326ページ, ¥ 540

『混沌からの表現』山崎正和<わからぬままもまたよし>

だが、文明の常識というものは、ほんらい人間にとって、ひとつの暗黙の了解のようなものではなかっただろうか。自然の感じかた、起居動作の作法、基本的なモラルの感情など、いずれも言葉に出して教えられぬものが文明の根底にある。それはあらゆる専門知識のまえにあり、それどころか、人間が常識的におこなうすべての行為の以前にある。人間をほんとうに根底から支配するものは、けっして大学で教える「一般教養」のように、けっきょくは知識にすぎないものの足し算ではなかったはずである。

山崎正和は、いま僕ら日本人の心の中にあるもやもやの根本を、これまでの生活や小さな歴史に照らして読者に語りかけている粋人である。『混沌からの表現』というタイトルもそれを見事に体現しているようだ。

わたしはこういうひとつの暗黙の了解というものの多くを、子供の頃の遊びを通じて学んだような気がする。おたがい体をはって暗黙の了解を作り上げていくのである。最近はこの暗黙の了解にまで説明責任というつまらぬ概念をいちいち持ち込もうとしている。せっかく子供の頃に体得したものがそれではまた壊れてしまう。

言葉はもちろん生きていく上での核となるものだが、その前に肉体というものの中に刻印された知識やメッセージのことを大切にしなければならないと思う。

出典:『混沌からの表現』、山崎正和、ちくま学芸文庫


混沌からの表現 (ちくま学芸文庫 ヤ 17-1)

山崎 正和. 筑摩書房 2007, 文庫, ¥ 1,050

『明日の広告』佐藤尚之<キモはフールな表現>

頭のスイッチを切った消費者でも受け取れるような、いい意味で「フールな表現」の方が相手の心に届くのである。

人は広告を見ているようで実は本気で見ていない。その目を見開かせるための表現のキモのことを、勇気を出して「フールな表現」と書いた佐藤尚之はなかなか偉い!

「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」を成功させた力の源泉はこのあたりにもあるのかもしれない。

この佐藤尚之の『明日の広告』は、最初は「やわい人」だなあと思えてしまうところもあるが、読み進めるうちに実はそうではないことがわかってくる本である。たぶんそこにも「フールな表現」という計算がきちんと働いている。

出典:『明日の広告』、佐藤尚之、アスキー新書

『英文読解術』安西徹雄<父親の居場所というもの>

ほんとうに久しぶりにボブ・グリーンのコラムを読んだ。といってもボブ・グリーンの本を一冊買ったのではない。安西徹雄の『英文読解術』の中に課題文として載っていたのである。

タイトルは”Retirement Dinner”。父親の退職パーティが題材である。同僚が参加している中で父親が挨拶をするのだが、その内容があまりにも自分にとって無縁で、その声までもが別人のように聞こえる。ボブ・グリーンはそれを次のように描写している。

The speeches began, and, as I had expected, much of their content meant nothing to me. They were filled with references and in-jokes about things with which I was not familiar;

英語で書かれていてもわたしは不思議とそのようすをそっくりそのまま受け入れることができた。心の中で勝手に”Not My Father”というタイトルを思いついたくらいだ。

父親というものは、ずっと会社が家のようなもので、退職後に家族にやっとそのありのままの姿を見せ始める。そのまま受け入れてもらえる父親もいれば、拒絶される父親もいる。自分の居場所がない。そういう父親も少なくはないようだ。

安西徹雄の選択眼に敬意の念を抱くだけでなく、これをきっかけにまたボブ・グリーンのさまざまな著作を読み返してみたい。

出典:『英文読解術』、安西徹雄、ちくま学芸文庫


英文読解術 (ちくま学芸文庫 ア 10-4)

安西 徹雄. 筑摩書房 2007, 文庫, 221ページ, ¥ 882

小学校で是非もっとソロバンを

ソロバンを使って、「3と言ったら7が欲しい」とか、「繰り上がりなんてメンドクサイ」とか、1つずつの数にとても豊かな属性をくっつけられるような人を育てたいからである。

畑村洋太郎の「小学校で是非ソロバンをきちんと教えてほしい」という強い願いである。私もこの一行を含めて周囲の文章を読み、ソロバンへの認識をあらたにした。これはほんとうは子供にも読ませたい本である。

すこし話が飛ぶけれど、最近ある小学一年生のお子さんのあっぱれな計算のことを聞いた。

次のような答えを出したらしい。

問題:9までの計算をしましょう。

1+2=6

3+5=1

元気をもらった。将来有望ではないか。

出典:『数に強くなる』、畑村洋太郎、岩波新書


数に強くなる (岩波新書 新赤版 1063)

畑村 洋太郎. 岩波書店 2007, 新書, 220ページ, ¥ 777

『論より詭弁』香西秀信<考え出すとちょっと大変>

言葉の定義や規準の明示を要求することは、それだけを見れば、十分に正当で、論理的な行為である。相手が使った言葉について、その意味や使い方がわからないと言い、それについての正確な説明を求める。この行為のどこにも非難すべきところはない。

機会があれば、このあとの続きの部分を是非読んでいただきたい。わたしは、「おっとお」、と思わずにはいられなかった。こういうのはけっして詭弁だとは言い切れないらしいが、十分気をつけないと返ってくるものが大きいようだ。

日常の口論とか、あとをたたない夫婦喧嘩などでもこの行為は必ず見受けられる。そういえば、以前、テレビの朝の討論番組で、著名な作家もこの方法を使っていた。これからも注意して見ていれば必ずまた評論家とかがやるはずである。ただしそれが必ずしも間違っているとはいえない場合があるらしいということも覚えておく必要があるようだ。

出典:『論より詭弁』、香西秀信、光文社新書


論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書)

香西 秀信. 光文社 2007, 新書, ¥ 735

『ルポ 貧困大国アメリカ 』堤未果<勝組負組思考のリセット>

活字文化をテレビ文化に上書きされたアメリカの後を追わないようにしないといけない。

『ルポ 貧困大国アメリカ』を書いた堤未果のひと言である。日本は今まさにこの際にあるようだ。

テレビはメディアの一種とされている。けれど「メディア」を辞書でひいてみると、「情報を伝える媒体」と書かれている。はたしてテレビは情報を伝える媒体だろうか。それよりも、考えなくても見られるように情報を押しつけてくる存在ではないだろうか。しかもその主体は今やほとんどが芸能人である。笑ってばかりもいられない。

出典:週刊文春2008年2月28日号

もうこれまでのベスト&ブライテストの時代は終わった

アマチュアのブログは主流のメディアと同じように読者の関心を引き、三流のバンドはレーベルなしで音楽をネット上でリリースする。

あるものを本当に好きな人がそのあるものを真の意味で引っぱっていく。こんなに当たり前で面白いことはないと思う。

そのために必要な勉強はやろうと思えばマルコムXのようにやればいい。場所を選ばない。こういう動きが日本発でじゃんじゃん出てきたら面白いだろうなあ。いつものように米国発じゃなくて。

出典:『ロングテール』、クリス・アンダーソン、早川書房


ロングテール―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略

Chris Anderson (原著). 早川書房 2006, 単行本, 302ページ, ¥ 1,785